フルトヴェングラーの心を現在(いま)に
去る5月9日、大阪シンフォニカー交響楽団第1回いずみホール定期演奏会が音楽監督・曽我大介の指揮によって開幕した。いずみホールを舞台にして行われる大阪シンフォニカー交響楽団の新シリーズ【古典派の現在(いま)】は、18世紀前半から19世紀前半に到る古典派の音楽を生きた音楽として根づかせようとする音楽監督の強い一念によって開花した。プログラムの表紙には「私の言葉は全世界で理解される。」というハイドンの言葉が掲げられていて、今回の新しいシリーズに対する深い意図を垣間見る思いであった。
 今回のメンバーは、フルート2 オーボエ2 ファゴット2 ホルン2 トランペット2 ティンパニ&打楽器1 弦楽5部(7・6・5・4・3)で、大半が大阪シンフォニカー交響楽団の正規メンバーで室内オーケストラの編成を充足していた。その上、いずみホールはその規模と音響面において室内オーケストラの演奏会にとっては打ってつけのホールである。
 初回の【古典派の現在(いま)】はハイドン「交響曲第93番ニ長調」第1楽章で開演、バロック・スタイルの表現に近い心地よい響きが伝わって来る。「心の響きの回復」という音楽監督・曽我大介の思いがオーケストラの響きに乗り移ったかのようにさわやかな演奏であった。2曲目、モーツァルト「ヴァイオリン協奏曲第3番ト長調」では、独奏ヴァイオリンに元アムステルダム・バロック・オーケストラ・コンサートマスター、ヨハネス・レーアタワーが協演し、その品位のある音色が心を惹きつける。休憩後、レーアタワー、ザザ・ゴグア、森下幸路、ウラディミール・スミコフスキー、野村朋亨によるモーツァルト「弦楽五重奏曲第4番ト短調第1楽章」が取り上げられた。レーアタワーは最後のハイドン「交響曲第2・3・4楽章」の演奏にもメンバーに加わり、【古典派の現在(いま)】の目指す「心の響きの回復」に大きい力となった。
 私は昭和39年、初めてベルリン国立歌劇場でヘンツェの歌劇「若き恋人たちのエレジー」を作曲者自身の指揮で聴いたとき、歌劇場のライブラリーでそのスコアをみようと窓口を訪ねたところ、年配の司書の方に話しかけられた。そして、あなたはフルトヴェングラーとカラヤンとどちらが好きかと問われた。そのとき私は京都でN響を振ったときの若いカラヤンの素晴らしいイメージしか持ち合わせず、残念ながらフルトヴェングラーは私にとっては幻の指揮者だった。その事情を伝えると、彼の口からフルトヴェングラー礼賛の言葉が次々と出てきた。その3年後、昭和42年に「フルトヴェングラーとの対話」(カルラ・ヘッカー著/薗田宗人訳、音楽之友社)が出版され、私は初めてその訳本を通してフルトヴェングラーの音楽観を知ることが出来た。その訳本の中から一節を紹介して、新シリーズ【古典派の現在(いま)】の「音楽リレー談義2」の幕を閉じることにしよう。
 「偉大な古典的作曲家たちは、今日しばしば、じつに勝手気ままな取り扱いに甘んじねばなりません。……古典的名曲が、五分程度の出来に演奏されるのさえまれだ、と言わざるをえない状態です。……もしもいつか、一人の芸術家が―ただ様式どおり楽譜に忠実に、作品に忠実に演奏するだけでなく、様式の指示や音符には表現されえなかった隠れた生命、情熱、力をもって楽曲を満ちあふれさせるような一人の芸術家が現れたならば―……世間一般と聴衆は、何の妨げもなく、ただこの音楽に聞き入っては大きな吐息をもらすことでしょう。」(フルトヴェングラー)(上掲書P.165〜166)
(C)無断転載を禁ず 中原昭哉 [音楽評論家]

いずみホール定期プログラムHOME音楽リレー談議インデックス