演奏様式とか演奏スタイルというものは時代と共に様々に変化してきた。バロック時代の作品を、当時の楽器を使い、詳細な研究に基づいた当時の演奏様式と考えるものに従って再現する、いわゆるオリジナル楽器演奏も、当初はほとんど学究的な意義しか認められない状態で、一部のマニアックな音楽愛好家に支持されていた程度だったが、20世紀最後の四半世紀にはオリジナル楽器演奏の対象はバロック時代にとどまらず、古典派はもちろんロマン派にまで及んで、21世紀に入った今では物珍しさは消滅し、むしろ古典派までの作品はオリジナル楽器演奏が主流と言えるくらい重要視されている。実際のところその影響力は大きく、今の我々がごく普通に接する、いわゆるモダン楽器によるオーケストラにおいても、もちろん指揮者の主張という形でだが、オリジナル楽器の奏法や演奏スタイルを取り入れている場合が非常に多くなっている。古楽畑出身のアーノンクールという指揮者などはその筆頭に挙げられるが、もっと若い世代の指揮者たちもオリジナル楽器演奏から刺激を受け、積極的にその演奏スタイルや解釈を取り入れている。今や、それが古典派の作品演奏における流行のようになっているとさえ言える。確かにそうした演奏は、これまでになく斬新であったり清新であったりして、聴く者に演奏されている作品の新たな魅力を発見させたり、作品に対するイメージを大きく変えさせられたりすることも多い。
だからと言って、オリジナル楽器演奏およびその影響を大きく受けた演奏こそ「古典派の現在(いま)」だと言うつもりはない。オリジナル楽器によるオーケストラであれ、モダン楽器によるオーケストラであれ、今の時代に演奏されるものはすべて「現在」の演奏である。ただ、その演奏に「現在」の意味がどれだけ主張として表されているか、そして「現在」の聴衆をどれだけ楽しませ、納得させるかが大切なのである。ハイドンの後期交響曲を中心に置きながら、古典派の珍しい作品なども組み合わせた異色のプログラムでシリーズ「古典派の現在」を続けている曽我大介指揮する大阪シンフォニカー交響楽団には、指揮者を筆頭に若いがゆえの大胆な「現在」という主張を期待できるだろう。