楽しい古典派を期待
古典派の音楽家は、その作品により西洋音楽の基本的な表現のスタイル(様式)を確立した。そして同時に、その作品の中で、現代のオーケストラの仕組みの原点を示した。この時代、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンの三人の偉大な音楽家が共に生き、この大仕事を完成させた。それは音楽史上、のちに時代を画したワーグナーや、ドビュッシーや、シェーンベルクが如何に偉大であったとしても、その才能と英知は、古典派の三人と比較にならなかったと私は思う。彼等は、誠に理にかなった楽曲の構成法を産み出し、全く自然でよどみない音楽の流れの中で、どの部分を取っても一音一音が楽曲全体の構成分子として意味をもつ素晴らしい作曲技法を開拓した。オーケストラは、個々の楽器同志が有機的な関係をもって組織され、極端にいえば何十人もの奏者の一人一人が、夫々違った役割りを分担するといったアンサンブルの原則を作品により示したのである。
 現代のプロオーケストラは、今日ベートーヴェンやブラームスを演奏したかと思えば、翌日は音楽教室でルロイ・アンダーソンをひかなければならない種々雑多なレパートリーのくり返しを宿命づけられている。そんな中で、今、大阪シンフォニカーが「古典派の現在(いま)」シリーズで、あらためて古典を見直し、オーケストラ本来の機能を整備しようとしていることは素晴らしいことだ。古典を見直すことにより、楽員の一人一人が今、自分が全体の中で何をしているのか? 自分の役割りが何なのかを意識して演奏し、そのことのくり返しの中から東洋の日本人としてのわれわれが、西洋音楽の様式感の把握に、一歩一歩前進出来るのだと思う。
 かつて西洋音楽は、カトリック教会の中で発生し、長い間、それは神への祈りであり、ましてや人間の楽しむものではなかった。しかし、いつしかそれが貴族社会の日常の場に歩み出し、古典派の出現により、人々の楽しみとなり、次第次第に今日のような演奏会形式が確立する。しかし、古典派の3巨匠が余りにも偉大だったため、19世紀ドイツの美学者たちが、神童とか楽聖とかいう言葉を使って神格化し、私達のような年輩者の若かった20世紀半ば頃は、我が国でも古典派の演奏は極めてアカデミックで、聞く人も襟を正して敬虔な気持で聞かなければいけないのだと思っていた。しかし、従来古典派の作品は、素晴らしく精巧に構築されているが、美しく楽しく人の心を浮々させてくれる音楽なのだ。私は、職業がら東京と大阪のオーケストラを度々聞くが、演奏レヴェルは別として、幾分生真面目な東京に比べて大阪の方が、何というか音楽の遊び心には長けているような気がしている。そんな意味でもシンフォニカーのこのシリーズで、楽しい古典を期待している一人なのである。
(C) 草刈 津三 (日本演奏連盟常任理事)

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