「古典」というと、いかにもいかめしく、かび臭いものに思われがちである。ところが今「古典派の音楽」を聴いても、ちっともズレないどころか、かえって新鮮でさわやかな気分にさせられる。繰り返し聴いても同じことで、そのたびに感動の渦に包まれ、時には新しい発見があったりする。そこには時間と空間を超越した普遍的な存在があるからだろう。
古典派が全盛期を迎えた18世紀後半から19世紀初頭にも、聴衆は今と同じ様に熱烈な拍手をおくった。それは音楽が単に素晴らしいだけでなくて、新時代の到来を予感させる魅力を秘めていたからである。それまでのバロック音楽はJ.S.バッハのような巨匠を生み出したものの、次第に形式化して、複雑で重苦しい印象を与えていた。
そこに出現したのがハイドンで、親しみやすく明快な響きで、新しい時代への道を切り開いていった。古典派音楽の登場である。その後に出てきたモーツァルトはオペラで人気をさらい、器楽曲の優雅な響きは人々の心をとらえた。ベートーヴェンは生命感にあふれる傑作の数々をつくり、楽曲の構成を整えて古典派の頂点を究め、楽聖として後世あがめられた。
これらのいわゆる「古典派ご3家」は、豊かな創造力によって揺るぎない業績を築き、後の作曲家たちに大きな影響を与えた。折から歴史は貴族社会から市民社会へ大きく転換しようとしていた。作品にはそれぞれの時代相が刻み込まれて、従来の音楽にない革新的な様相を示していた。バッハさえ古典派の盛期には存在がすっかり薄くなり、メンデルスゾーンによって復活するまで100年近くも埋没していたほどである。
音楽は時の流れとともにロマン派、民族派など様々の変貌を遂げながら現代に至っている。現代の作曲家たちがこもごも口にすることは「いかに古典派を乗り超えるか」ということである。思えば古典派の誕生以来約200年、作曲家たちはそそり立つ巨峰を踏破するのに心血を注ぎ、新しい音楽を生み出してきた。古典派は革新的な音楽を創造する象徴として、今もその輝きを失っていない。
古典派の音楽は変わりゆく時代の鼓動を感じながら生まれ、当時の人々に感動を与えてきた。現代もまた目まぐるしく変動しつつあり、心の安らぎが求められている。巨匠たちの音楽に耳を傾けて、現代をたくましく生き抜く糧にしたいものである。