ものごとの本質を的確に窺知することはなかなかに難しい。況してそれが現在進行形である場合は尚更見えにくいものである。しかしその対象が完結して評価が確定したとき、人はそれを偉業と呼ぶ。大阪シンフォニカーのシリーズ「古典派の現在(いま)」に、ふとそんなことを思った。
前音楽監督曽我大介の発案でスタートしたのが2002年5月。それから着実に年4回の公演を重ね、既に3年が経った。ウィーン古典派の様式を踏襲し、交響曲の楽章間に他の作曲家の協奏曲を挿んだり、シンフォニカーのメンバーからソリストが選ばれるなど、様々な工夫を凝らして聴衆を楽しませようとする心意気が嬉しい。昨今、時代の要求でピリオド楽器やオリジナル楽器奏法がもて囃されてはいるが、それに与みしない姿勢もいい。と言って何もそれを否定しているのではない。時代の変遷とともにスタイルが刷新されることは当然だが、当時の様式を無視して現在が在るとは思えない。しかしほぼ全ての楽器は、須らく演奏会形式の変化、会場の大規模化などに伴って発達してきた。表現や音色の可能性を追求し、広大化する会場の隅々まで届かせる音量を携えるため、その開発努力は今も続いている。つまり裏を返せば当時の楽器と現代の会場を組み合わせたのでは響きの構築が得られないのだ。そういった観点からも、このシリーズには演奏者と聴衆が同様の共感を分かち合い、音楽そのものを受容するコミュニケーションが存在する。それこそハイドンの持つ最大の魅力、「様式の中の自由さ」に密接に関わるものである。
かつてこのシリーズで共演した元アムステルダム・バロック・オーケストラのヨハネス・レーアタワーが今夜のシェフだ。ハイドンにある独特のユーモア、また見落とされがちではあるが、喩えようもなく甘美な「うた」、そんな輝きを充分に満喫させてくれるに違いない。加えてソリストの金子鈴太郎の鮮烈な感性はいかばかりか。
2009年はハイドンの没後200年にあたる。おそらく各地で様々ハイドンに因んだコンサートが開かれることだろう。もちろんこの若く有能なオーケストラが、新しいミュージックアドバイザー・首席指揮者 大山平一郎の下でさらに力を蓄え、研ぎ澄まされた新鮮なハイドンを聴かせてくれることは容易に想像することができる。だからこそ今、この「古典派の現在(いま)」の存在意義が得難いのだ。
まさに今夜は一期一会、この上ない愉悦となるだろう。