■大阪シンフォニカー交響楽団-楽曲解説DB
ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調『合唱付』op.125
Ludwig van Beethoven: Sympony No.9 in D minor, "Choral" Op.125
作曲経過:生地ボンにいたときからシラーの詩「歓喜に寄せて」の作曲の構想を持っていた。1809年のスケッチブックに第1楽章の冒頭、1817年には第2楽章のテーマが記されている。1822年ロンドンのフィルハーモニック・ソサエティからの作曲依頼が直接のきっかけで全体の作曲がすすめられた。
完成年:1823年末-1824年初め
初演:1824年5月7日ケルントナー劇場。作曲者自身の指揮として登壇していたが、実際はウムラウフが指揮をしていた。
演奏時間:15',13',13',24' (65')
楽器編成:2Fl,2Ob,2Cl,2Fg,4Hr,3Tb,Tim,Str (第4楽章でK-Fg,Trgl,Cym,BDが加わる)

◆ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調op.125「合唱」
 第9交響曲の最終的な総譜は、スケッチ研究から第1楽章が1823年5ー6月に、第2楽章が8ー9月に完成され、その後第3楽章が、そして終楽章が12月から1824年2月にかけて完成されたと推定できる。完成された第9交響曲は、1824年5月7日にケルントナー・トーア劇場で初演された。管弦楽はヴァイオリンが各12名、ヴィオラ8名、チェロとバス10名、管楽器が4管編成で、楽員の半数以上がアマチュアであり、合唱は各パート25名程度だった。
 第9交響曲は、中期のような力の充溢と巨大な規模に、そして終楽章に声楽を導入するという破天荒なメッセージ性に、目を奪われがちである。しかし仔細にみると後期様式特有の緻密な書法と、対位法を始めとする豊かな作曲技法によって練り上げられた「後期」の代表作である。ベートーヴェンは晩年に、ミサ・ソレムニス、ディアベッリ変奏曲、大フーガのように、自らの創作を総括するばかりか、過去の音楽史を集大成するような記念碑的な大作を続々と発表した。その中でひときわ輝いているのが、交響曲の記念碑たる第9交響曲に他ならない。
 第1楽章:大規模なソナタ形式。空虚五度のトレモロの中から生まれる主題の雄大な生成過程は、この巨大な作品の開始に相応しい。主題反復の変ロ長調はこの楽章の対立調(第2主題の調)であるばかりか、全曲にわたる調性プランのかなめである。第2楽章:スケルツォ。主部はソナタ形式で緻密に構成される。フーガ風の主題提示と展開部のストレッタに代表される対位法的処理は注目に値する。これはまさにベートーヴェン自身が発展させたソナタ形式の劇的構成を最高度に利用した例といえよう。トリオは、力動的な主部とは対照的に、田園舞曲風の穏やかな性格となる。第3楽章:2つの主題による二重変奏。美しく瞑想的な2つの主題は、変奏されるたびに天上世界に近づいていくかのようである。コーダのファンファーレは、瞑想から「目覚めよ」という警告とも解釈できるだろう。第4楽章:自由な変奏形式。ここでは終楽章の中にスケルツォや緩徐楽章も含みこんでいる。これはシラーの頌詩「歓喜に寄す」のための多様な表現に対応しながら、巨大な楽章を統一するという、まさにベートーヴェンの変奏技法の総集約ということができるだろう。恐怖のファンファーレに続く器楽レチタティーヴォは、3つの前楽章の主題を回想しながら否定して、歓喜の主題発見のプロセスを示す。2度目のファンファーレからいよいよ「歓喜の頌歌」が始まる。歓喜の歌が最高潮に達したところで、荘重な「諸人よ、抱擁を受けよ」の音楽となる。これは後期作品独特のアルカイズムの表現であり、超越的な神の表現に古風な旋法和声を用いている。古様式に彩られた超越的な神の音楽も、現れる度に変質してゆき、最終的には完全に人間的(調性的同時代的)な音楽と融合して、大きな「歓喜」の中にのみ込まれてしまうのである。横原千史(音楽学・音楽評論)

◆ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調op.125「合唱」
ベートーヴェンの交響曲第9番『合唱付き』が、型破りの交響曲であることはみなさんご承知の通り。1時間を越える、当時としては常識を超えた演奏時間に加え、交響曲に声楽を導入し、さらに打楽器やコントラファゴットを加え、あるいはそれまで第2楽章に置かれていた緩徐楽章を、大胆にも第3楽章に配置転換するなど、数々の変革をしている。しかし本当の意味での大革新は、それまで教会の中に居た「神」を、外に引っ張り出したことである。第4楽章「歓喜の歌」で讃えられる「星の上に住まう」神は、キリストでもあり、またキリストでもない汎神論的な神。このベートーヴェンの権威にとらわれない宗教観を作ったのは、彼の生地ボンであった。17世紀から18世紀のボンは、音楽好きの選帝侯が続く文化的な町であった。ベートーヴェンの祖父が、ここの宮廷楽長をつとめたこともある。1784年マックス・フランツ侯が選帝侯の地位につくと、翌年には大学を作り、先進的な思想の教授を集め、ボンはドイツ啓蒙思想の一大中心地となった。1789年19歳のベートーヴェンはこの大学に入学し、一番多感な時期、この大学で自由や正義を学び、教会の権威に対する疑念を抱くようになった。しかし1794年10月ベートーヴェンがウィーンに去った直後、フランス革命軍の侵攻により、ボンの繁栄と自由の中心であった大学はもろくも崩れ去った。ベートーヴェンにとって、交響曲第9番『合唱付き』を作曲することは、それこそ人生を賭けた戦いだったに違いない。(大阪シンフォニカー交響楽団ITプランナー)佐々木 修


◆ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調op.125「合唱」
 ベートーヴェンの交響曲第9番は、そのタイトル「合唱」が示すように、最終楽章に声楽ソリストと合唱が入り、ドイツ語で歌われることは小学生でも知っています。ではドイツの小学生が、この「第九」を聞いて、歌詞のドイツ語が理解できるかというと、実は一部を除いて不可能なのです。ちょうど我々が「君が代」を聞いても、すぐには理解できないことと似ています。
 「第九」の歌詞はフリードリヒ・フォン・シラー(1759〜1805)の詩「歓喜に寄せて」から3分の1程度が抜粋され、一部をベートーヴェン自身が編集して使われています。そして、はじめて「第九」を耳にした現代のドイツ人が、すぐに理解できる二カ所こそ、ベートーヴェンが編集した部分なのです。一カ所目はバリトンの歌い出しのレチタティーヴォ、「おお友よ、このような音ではない! 我々はもっと心地よい、もっと歓喜に満ち溢れる歌を歌おうではないか。」という部分、そしてもう一カ所が、ベートーヴェンが世界の人々に永遠に訴えたかった部分なのです。それは、「Alle Menschen werden Brueder」つまり「すべての人々は兄弟となる」という部分です。シラーの原詩では、「Bettler werden Fuerstenbrueder」「貧しき者らは王侯の兄弟となる」です。シラーは当時すでにゲーテと並ぶ偉大な詩人・思想家であり、彼の「自由」の思想は、ドイツ国民の精神生活に大きな影響を与えました。その偉大な詩人の作品に手を入れるということは、かのベートーヴェンでさえ大きな苦悩の末の決断であったに違いありません。現代ならば著作権侵害で非難を浴び、損害賠償を請求され、自らの芸術家生命を奪いかねない決断です。しかしこの決断により、「第九」は時空を超えた人類の讃歌としての輝きを手に入れました。「第九」は平和で自由な世界の象徴であり、同時に私たち一人一人がこれを守らねばならないという、「楽聖ベートーヴェン」からのメッセージなのです。
第1楽章 アレグロ・マ・ノン・トロッポ・エ・ウン・ポーコ・マエストーソ
冒頭、ホルンと弦楽器のトレモロにより奏されるニ音とイ音による完全五度は、宇宙空間を想像させる。次第に輪郭が見え出現した巨大な第一主題は、ベートーヴェンの権化であろうか。旋律的な第二主題は、第4楽章の「歓喜」の主題を暗示させる。
第2楽章 モルト・ヴィヴァーチェ
複合三部形式をとるスケルツォ楽章で「ティンパニ協奏曲」とも呼ばれる。宇宙空間にばらまかれた原子が運動をはじめ、ぶつかり合い、天神祭の「ギャル神輿」のごとく熱を帯びる。中間部はニ長調で推移し、第4楽章の「歓喜」の時がさらに迫っていることを知らされる。
第3楽章 アダージョ・モルト・エ・カンタービレ
ベートーヴェンは二流のメロディー作曲家である。神の啓示のごとくメロディーを生んだモーツァルトとは比較にならない。しかし、ベートーヴェンが誰よりも努力して、選びに選び抜いた音霊は、比類のないカンタービレとして結実し、聴衆を夢の世界へと誘う。
第4楽章 プレスト−アレグロ・アッサイ
前の3つの楽章の断片が短く回想され、オーケストラはこれをレチタチーヴォ風に、ことごとく否定する。歓喜の歌が提示され、ついに待ち望んでいた時がやってきた。(大阪シンフォニカー交響楽団ITプランナー)佐々木 修
◆ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調op.125「合唱」
「我が子を天才にしたい!」これは古今東西変わらぬ世の親の願いである。そして親がすべきことはスパルタ教育、つまり「巨人の星」の星一徹であり、ベートーヴェンの父親であった。そしてこの厳しい教育により、ドイツ・ボン生まれのベートーヴェン少年もまた天才候補としての資格を得る。
ベートーヴェンの父親は「我が子を第2のモーツァルトに!」と願い、ウィーンにまで出かけ、そのモーツァルトに面会するなど八方手を尽くすが、思うような成果は得られなかった。その後5年間、ベートーヴェンは故郷で青春時代を過ごす。
 奇しくも前述のモーツァルトと同じ19歳になった1789年、隣国でフランス革命が起こる。貴族や教会が支配者であった封建社会から、市民が自由を得た歴史的ニュースを聞いたベートーヴェン青年は、体中に熱いものが流れるのをはっきりと意識した。「私は全人類と全宇宙の平和のために作曲をする!」シラーの詩『歓喜に寄す』を手に、ベートーヴェンは固く誓った。
 時は過ぎ1824年、54歳のベートーヴェンはヨーロッパ楽壇に君臨する大作曲家であった。しかし肉体的には既に耳は全く聞こえず、家族を持たない、家族を持てないベートーヴェンは、精神的にも疲労困憊していた。
このような状況で、最後の力を振り絞り完成させたのがこの第九交響曲である。ベートーヴェンの天才の本質はメロディー作曲家としてではなく、音というレンガを探しに探して、ついにこれぞという一つを見つけ出し積み上げ、巨大な構造物を作り上げる構成力と精神力である。
 人類が手にした最高の創造物の一つである第九交響曲は、歴史的には古典派からロマン派という大きな扉を押し開く。また「歓喜の歌」は時代と民族を越え、ある時はベルリンの壁開放の賛歌として、また現在は欧州連合の歌として永遠の輝きを放ち続ける。
 楽曲的にまず注目すべき点は調性である。第1楽章はニ短調で支配されるが、この調性は、他でもないモーツァルトのレクイエム、ドン・ジョバンニ、ピアノ協奏曲第20番K.466の調性である。才能のある作曲家ほど、調性に対するインスピレーションは鋭い。ましてやモーツァルトを心から尊敬していたベートーヴェンが、自分のライフワークである第九交響曲に、モーツァルトの特別な調性であるニ短調を選択したことは重要な意味がある。第4楽章でニ長調の「歓喜」をもたらすためには、その対局であるニ短調の「苦悩」が必要であった。
第1楽章 アレグロ・マ・ノン・トロッポ・エ・ウン・ポーコ・マエストーソ。長大なソナタ形式。
第2楽章 モルト・ヴィヴァーチェ。ティンパニが活躍する急速なスケルツォ楽章。
第3楽章 アダージョ・モルト・エ・カンタービレ。美しい転調をともなったロマンティックなメロディーが天国へといざなう。
第4楽章 プレスト−アレグロ・アッサイ。声楽ソリスト、合唱が加わっての「歓喜の歌」。
 (大阪シンフォニカー交響楽団ITプランナー)佐々木 修

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