■大阪シンフォニカー交響楽団-楽曲解説DB
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61
Ludwig van Beethoven: Violin Concerto, op.61, D major
初演:1806年12月23日、アン・デア・ウィーン劇場
演奏時間:23',10',9',(42')
1Fl,2Ob,2Cl,2Fg,2Hr,2Tp,Tim,Str
ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)は、1806年夏にリヒノフスキー侯爵のシレジアの領地のグレッツ城に滞在していた。10月末に城を訪れたフランス軍将校のためにピアノ演奏を強要され、ベートーヴェンは断り、怒って雨の中をウィーンに返ってしまった。このとき抱えていた名作《熱情》ソナタとラズモフスキー四重奏曲の自筆譜には雨滴の染みが入っている。この四重奏曲のスケッチにはヴァイオリン協奏曲の楽想も見られるが、この段階では協奏曲用に特定されていたわけではない。ヴァイオリン協奏曲は、おそらくヴァイオリン奏者のフランツ・クレメントの依頼で、11月下旬から作曲を始め、12月23日の演奏会直前に完成されたようだ。そのためクレメントはプローべなしで、初見で演奏しなければならなかった。『ウィーン劇場新聞』の初演の批評は、クレメントの技量は褒めているが、作品については「関連なく積み重ねられた大量の楽想に圧倒され、不愉快な気分」になると否定的だった。ロンドンのクレメンティからピアノ協奏曲への編曲版を依頼されたことから、作品全体を見直して、ヴァイオリンの独奏声部もかなり書き改められた。そのため原典資料は初演の自筆総譜のほかに数種の異稿が存在することになった。現行版は1808年の初版譜に基づいている。初演後、トマシーニ(ベルリン、1812)、バイヨ(パリ、1828)、ヴュータン(ウィーン、1834)、ウルリヒ(ライプチヒ、1836)らが再演するが、作品に高い評価は得られなかった。状況を変えたのは30歳の俊英ヨアヒムで、1844年ロンドンでメンデルスゾーンの指揮とともに大成功を収めた。ヨアヒムは、ドイツ各地で再演して成功をかちとり、いよいよ作品の真価が認められるようになった。その後ケーニスレフやサラサーテがヴィルトゥオーゾ風に演奏して失敗した例が批評に残っている。(詳細は、東京書籍『鳴り響く思想』所収の拙訳マーリング論文を参照されたい。)
ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は、現在では古今の協奏曲の最高傑作の一つとして認められている。様式的にはフランスのヴァイオリン楽派である、バイヨ、ロード、クロイツェルの流れを汲み、更にその先輩であるヴィオッティの協奏曲をモデルにしている箇所もある。しかし、彼らの曲のように単に技巧を誇示するだけではなく、ベートーヴェンらしい深い精神性や音楽内容を持ち、交響的要素と有機的に調和させて、見事な協奏曲に仕上げている。参考までに初演のオーケストラの規模を書くと、1Vn4, 2Vn4,Va2,Vc2, Kb2, Fl1, Cl2, Fg2, Hr2, Tp2, Timpであった。第7、第8交響曲でもこれと同規模であったようだ。
第1楽章:協奏的ソナタ形式。5つの旋律楽想が冒頭のリズム動機に絡めて、豊かに構成される。木管で提示される優雅な第2主題は、シレジア民謡に由来するという説もある。夏のグレッツ城滞在中の作曲者が耳にしたものかもしれない。展開部の中間では主題素材によらない新楽想がヴァイオリンで美しく奏でられる。楽章終わりのカデンツァは、長らくヨアヒムのものが定番になっていたが、最近ではベートーヴェンがピアノ協奏曲用に作ったカデンツァをヴァイオリン用に編曲して演奏されることもある。これはティンパニを伴う行進曲風のかなり大きなもので、クレーメルやテツラフらがCD録音している。チョーリャン・リンがどのカデンツァを使うか楽しみだ。
第2楽章:自由な変奏形式によるロマンス。最初にオーケストラで提示された主題がヴァイオリンで3回変奏される。独奏が走句をゆっくりと上がり降りたところで瞑想的な美しい第2主題があらわれる。2つの主題が変奏再現され、アタッカで終楽章につながる。
第3楽章:ロンド形式、ABACABコーダ。ロンド主題Aは6/8拍子の躍動感溢れる旋律である。第1挿入句Bは独奏が長い音を引き伸ばして元気よく始まる。第2挿入句Cはト短調の抒情的旋律で主題と対比づけられる。長大なコーダでは、ロンド主題が遠隔調の変イ長調であらわれ、主題が存分に展開されて曲を結ぶ。
(C)横原千史(音楽学・音楽評論)