■大阪シンフォニカー交響楽団-楽曲解説DB
ブルックナー:交響曲第7番ホ長調
Anton Bruckner: Symphony No.7 in E major
作曲年代:1881年-1883年9月5日
初演:1884年12月30日、ライプツィヒ。ニキシュ指揮によるゲヴァントハウス管弦楽団
演奏時間:20',22',10',12',(64')
楽器編成:2Fl,2Ob,2Cl,2Fg,4Hr,3Tp,(2Tenor, 2Bass-Wagner Tuba),1Tub,Tim,(Cym,Trgl),Str
第2楽章のシンバルとトライアングルはその扱いについて論議がある。このパートは指揮者のヨーゼフ・シャルクが加えて印刷もされたが、作曲者は後にこれを削除している。
ウィーンの批評家ハンスリックの攻撃や当時の保守的な聴衆の無理解から、ブルックナーの交響曲がなかなかウィーンで受け入れられなかったことは、皆さんも良くご存知のことだろう。しかしそうした逆風にもめげず、倦まず弛まず作曲し続けたのがブルックナー。そのやや小心で、しかし音楽に対する真摯さを決して失わない朴訥な姿勢は、様々に残された彼の肖像やカリカチュアとオーヴァーラップしてどこかうら悲しささえ感じさせる。しかし彼の手から次々と休みなく生み出された音楽は、どれも人間業を超えた宇宙をも想起させる壮大さと荘厳さに満ちている。その意味では、彼自身の思いとは裏腹に、彼の手にはまさに神が宿っていたとしか思えない。
今日演奏される交響曲第7番も、第6番が完成された僅か20日後の1881年の9月23日に着手され、約2年後の1883年9月5日に全曲が完成された。ただご多分に漏れず、この曲もなかなか公開の演奏機会に恵まれなかった。幸いだったのは、弟子のシャルクがこの作品に熱心で、その紹介により、当時ライプツィヒにいたニキシュが知るところとなり、ゲヴァントハウス管弦楽団によってライプツィヒでの初演が実現したことであった。1884年12月30日にライプツィヒ歌劇場で行なわれた初演は大成功で、それが結果的にミュンヘンやウィーンでの演奏へとつながり、ブルックナーは初めて国際的名声を勝ち得ることとなった。
ブルックナーの交響曲には版や稿の問題がついて離れないが、この第7番に関しては、初版譜(オイレンブルク版)旧全集版(ハース版)新全集版(ノーヴァク版)の間でさほど大きな差がなく、特に問題となるのは、第2楽章の練習番号Wのところでティンパニ、トライアングル、シンバルが入るかどうかぐらいである。ただこの箇所にしても、どの版を使う場合も、多くの指揮者が独自の判断を示していることが少なくない。今日はハース版とクレジットされているが、児玉宏はどういう判断を示すだろう。
一度聴けば忘れられない雄大で美しい第1主題が印象的なソナタ形式による第1楽章、敬愛するワーグナーの死を悼む楽句が挿入された、深沈とした、しかし聴くものの心を浄化せずにはおかない緩徐楽章の第2楽章、複付点を伴ったトランペットのモティーフを中心に、雄大で圧倒的な高揚感を見せるスケルツォの第3楽章、力強く、まるで大伽藍のような壮大さを持ったクライマックスを築き上げるフィナーレの4つの楽章からなる。
(無断転載を禁ずる)(C)中村孝義