大阪交響楽団 2017年度いずみホール定期演奏会 曲目解説

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第28回 いずみホール定期演奏会 4月26日(水)
阿部 加奈子
南部 やすか

第28回いずみホール定期演奏会
シューマンの春
 
2017年4月26日(水)
<昼の部>14時30分開演 <夜の部>19時00分開演
いずみホール

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-1791)
交響曲 第29番 イ長調 K.201 (186a)


  本日のプログラムは、モーツァルトの「交響曲」で始まる。少し、不思議な感じがしないだろうか?確認のために、大阪交響楽団の他の演奏会を見てみよう。たとえば、4月13日の第209回定期演奏会は、ブラームスの「大学祝典序曲」で始まり、ロベルト・フックスの「セレナーデ」第3番、そしてフランツ・シュミットの交響曲第2番がメインとなるプログラムだ。来月5月18日の第210回定期演奏会も、ベートーヴェンの「プロメテウスの創造物」序曲に始まり、ニーノ・ロータのトロンボーン協奏曲があって、チャイコフスキーの交響曲第1番で演奏会を締めくくる。つまり、今回のプログラムで少し変わっているのは、演奏会が「交響曲で始まること」だ。
  と、書いたものの、実は交響曲で始まる演奏会というのは、珍しいながらもけっこうある。歴史を振り返ってみると、モーツァルトがこの交響曲を書いた当時、つまり1774年頃は、まだ演奏会のスタイルは定まっていなかった。ひとつの例をみてみよう。ヨーロッパ諸国の民間オーケストラとして一番古い歴史を持つのは、ライプツィヒのゲヴァントハウス管弦楽団で、当楽団は1781年から今年まで、途切れることなく定期演奏会を続けている(1813年に1年だけ中断がある)。モーツァルトも1789年5月12日の演奏会に出演している。そのゲヴァントハウスの定期演奏会で、モーツァルトの交響曲は、演奏会開始の曲目として定番だった。このように書くにあたって問題なのは、19世紀初め頃まで、プログラムには「交響曲」としか記載されなかったことと、オペラの序曲を「交響曲(シンフォニー)」と呼ぶ慣習があったことである。だから、プログラムに「モーツァルトの交響曲」と書いてあっても、それが何番の交響曲か、何調の交響曲かもわからなければ、交響曲だったかどうかもわからないのだ。けれども、それから40年以上経った1835年、メンデルスゾーンが当楽団の指揮者に就任してからも、つまり、何番の交響曲かがはっきりわかるようになってからも、モーツァルトの交響曲は開始曲として定番であり続けた。演奏時間が30分以上かかる第39番も、第40番も、第41番「ジュピター」も、演奏会の最初の曲として、全楽章が演奏されていたのだ。本日演奏される第29番も充分に長いが、もちろん、演奏会の最初の曲だった。
  イ長調の本作品、冒頭がとても印象的である。なにしろ、イ長調の主音「ラ」ばかり。演奏会の開始の曲、ということを念頭におけば、なるほどという曲のはじまりだ。モーツァルトは本作品によって交響曲ジャンルの新境地を開いたといわれるが、全体をとおして一番印象的なのは、第一楽章冒頭の「ラ」が、1オクターヴ下の「ラ」に下行する音型が、展開部でフーガのように扱われ、さらに、最後の第四楽章の冒頭でも登場してくるところだろう。第一楽章の展開部といえば、クライマックスへと向かっていく場面であり、第四楽章の冒頭は、ゴールへと再度、仕切り直す場面だ。要所を押さえたこの統一の手法は見事としか言いようがない。この全体的統一は、当時として、最初から最後まで一気に聴くには随分長い本作品に指標を与えるものであり、彼の交響曲の転換点となりえた所以であろう。

 
●作曲年代 1774年4月6日完成
●初  演
 不明
●楽器編成
オーボエ2、ホルン2、弦五部




ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-1791)
フルート協奏曲 第2番 ニ長調 K.314 (285d)


  モーツァルトは、特定の楽器の曲を作曲するとき、楽器そのものより、その楽器の演奏者を想定していた。これは至極当然のことで、当時、作品は楽譜として流通するのではなく、演奏会で演奏されることが前提だったからだ。しかもその演奏の場でも、作品そのものより、演奏者が注目されていた。先に紹介したゲヴァントハウス管弦楽団のプログラムでも、協奏曲においては演奏者名が重要だった。つまり、「フルート協奏曲、演奏者だれそれ」と記載されるだけで、「どの作曲家のどの作品か」ということは書かれなかった。だから、このフルート協奏曲第2番の演奏歴は正確にわからない。
  さてモーツァルトは、1777年9月、マンハイムとパリに向けて旅にでかけ、マンハイム宮廷楽団のレヴェルの高さに驚いたといわれている。とくに、フルートのヴェンドリング、オーボエのラム、ファゴットのリッターといった首席奏者と親しくなった。その内のヴェンドリングの計らいで、オランダ人のフルート愛好家フェルディナント・ドジャンから作曲依頼を受けることになった。ドジャンは東インド会社の商人で、医師でもあった。出来上がったのはフルート協奏曲2曲と、フルート四重奏曲3曲。これは契約よりも少なかった。しかも本作品が、前年に作曲されたオーボエ協奏曲からの書き換えだったために、報酬が大幅に減額されたということである。オーボエ協奏曲はラムが既に演奏していて、ドジャンも知っていたとか・・・。このあたりの話は各種あるが、資料的にはモーツァルト自身が編曲したかどうか、確定できていない。
  冒頭、フルートソロが始まってすぐのロングトーンはインパクトがあり、聴き手を一気にフルートの世界に引き込む。全曲をとおして、フルートがぐいぐいとオーケストラをひっぱる。音階とアルペジオを多用した軽快なメロディーは、聴いていてここちよく、あっという間に演奏は終ってしまう。

●作曲年代  1778年1〜2月(1777年に作曲されたオーボエ協奏曲からの編曲)
●初  演
 不明
●楽器編成
 オーボエ2、ホルン2、弦五部



ロベルト・シューマン(1810-1856)
交響曲 第1番 変ロ長調 作品38 「春」


  シューマンは、ベートーヴェンを同時代の人として経験していた。シューマンが17歳の時まで、ベートーヴェンは生きて、活動していたのだ。1827年3月にベートーヴェンが亡くなると、ゲヴァントハウス管弦楽団は、その年の秋から彼の交響曲の全曲演奏を企画する。この企画は、その後3年間にわたって繰り返されるのだが、シューマンはその2年目にあたる1828年10月からのチクルスを聴いた。全9曲の内、少なくとも7曲を聴いたことが明らかになっている。この時期というのは、シューマン個人でいえば、1828年の春からライプツィヒ大学に進学し、ライプツィヒでの生活を開始している時期で、ゲヴァントハウス管弦楽団としては、交響曲が演奏会の開始ではなく、メインとして演奏会後半を独占する位置に据えられることが多くなる時期であった。とりわけベートーヴェンの交響曲は演奏会のメインとして扱われ、1828年のチクルスでは、第八番以外が演奏会後半を独占する現在のようなスタイルで演奏された。ちなみに演奏会のメインが交響曲になる演奏会は全体としては約半数であり、残りの半数の演奏会では依然として、演奏会の開始を飾るのが交響曲だった。
  シューマンはシューベルトとも時代を共有していた。シューベルトが亡くなったのは1828年。それはシューマンがベートーヴェンの交響曲をまとめて体験した時だったが、それから約10年経過した1839年1月1日、作曲家として経験を積んだシューマンは、ウィーンのシューベルト宅を訪問し、そこで大ハ長調交響曲(D944)を知る。シューマンは直ちにライプツィヒの出版社ブライトコプフに報告、同年3月21日、メンデルスゾーン指揮、ゲヴァントハウス管弦楽団で初演される(約60分の大曲にもかかわらず、演奏会の1曲目だった!)。シューマン自身はこの演奏会には立ち会えなかったものの、その後、立て続けに演奏されたので翌年には聴くことができ、その感動を友人ベッカーに伝えている。「(シューベルトの大ハ長調交響曲は)ベートーヴェン以降の器楽音楽の中で最もすぐれている。シュポーアやメンデルスゾーンでさえも、その領域までは到達できない。」
  1840年9月、紆余曲折を経てクララと結婚したシューマンは、幸福な新婚生活を送っていた。1841年1月、リュッケルトの詩集『愛の春』の詩に2人で分担して作曲していくという毎日のなかに、「交響曲の作曲」という計画があらわれる。満を持してというべきだろう。アードルフ・ベットガーの詩の一節「谷間に春が燃え立っている」に霊感を受けて、交響曲第一番はスケッチされたらしい。スケッチ完成までわずか4日間だったという。ベートーヴェン体験からシューベルトの交響曲との出会いを経て、シューマンの交響曲第一番は生まれた。
  同年3月31日、クララが主宰したゲヴァントハウスの慈善演奏会で、メンデルスゾーンの指揮により初演された。冒頭、ホルンとトランペットが変ロ長調のファンファーレを奏でる。そのモティーフが第一楽章全体を推進していく。ゆるやかであたたかい第二楽章を経て、ニ短調になる第三楽章は、第二楽章の最後のトロンボーンの旋律が主題になっている。第四楽章は変ロ長調に戻り、冒頭と同じくファンファーレで全体が締めくくられる。この初演は慈善演奏会だったのでプログラム構成は変則的で、交響曲第一番は演奏会第二部の冒頭で演奏された。楽曲を締めくくる輝かしいファンファーレのあとには、メンデルスゾーンとクララによるピアノ連弾、歌曲、ピアノ曲などが続けられた。さぞかし豊かな時間だったろうと想像される。
 
●作曲年代 スケッチ1841年1月23日〜26日、オーケストレーション1月27日から2月20日
●初  演
1841年3月31日。メンデルスゾーン指揮。ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団にて。
●楽器編成
フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、ティンパニ、
トライアングル、弦五部

 

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