00927433
 
 
 
第227回 定期演奏会   3月15日(金)
沼尻 竜典

2019年3月15日(金)19時00分開演
 
曲目解説 /長木 誠司(音楽学者)
 
フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1732-1809)
交響曲 第101番 ニ長調 Hob.Ⅰ-101 「時計」
 
 フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1732-1809)は、生涯に実に多くの交響曲を作曲し、以後今日まで続くこのジャンルの直接の祖となった。1908年にブライトコップ社がハイドン全集を出版する際に、校訂者のオウゼビウス・マンディツェフスキーが、当時信じられていた作曲年代順に104曲の交響曲に番号付けを施し、それがアントニー・ヴァン・ホーボーケンによる作品目録の作成時(1957)に受け継がれて交響曲の番号として今日まで用いられているが、ホーボーケンは協奏交響曲を含むさらに4曲の交響曲を目録に加えており、結局ハイドンの交響曲は全部で108曲を数えることになる。
 ハイドンの時代、音楽家の多くは宮廷に仕え、その楽長となることが大きなステイタスであった。ハイドンも、ボヘミアの宮廷で楽長を務めたあと、1761年に西ハンガリーの大貴族で、アイゼンシュタット(現在はオーストリア、ウィーンの南方)に邸宅を構えるエステルハージ家に仕え、楽長としてオーケストラやオペラの上演、その他宮廷の音楽活動に関する一切の責任を負った。規律に縛られた創作はハードではあったが、30年間にわたってハイドンはオペラを含む様々なジャンルで着実に技術を磨き、新たな挑戦も多く行っていた。
 1790年、主人の侯爵ニコラウスが亡くなると、音楽にまったく興味を示さなかった後継者のアントンはハイドンに年金を与えて解雇したが、そのおかげですでに欧州全域に名の知れ渡っていたハイドンは、より自由な創作と自由な演奏旅行が可能になった。
 ハイドンはさっそく、当時のウィーンの興行主ヨーハン・ペーター・ザロモンの求めに応じて、ロンドンで一連の新作やロンドン初演曲を発表する演奏会の契約を行う。こうして1791年にロンドンに到着したハイドンは「ザロモン演奏会」で、6曲の交響曲(第93番から98番)を発表して好評を得たが、1794年に再度ロンドンに渡り、95年にかけて6曲の新作交響曲(99番から104番)を披露した。これらはそれぞれ第1期、第2期の「ザロモン・セット」と総称されることがある。
 交響曲第101番は、第2期ザロモン・セットの6曲のうち2番目に作曲されたもので、第100番よりも完成は早い。ザロモン・セットの全体的な特徴は、手の込んだハイドンの作曲手法にあるが、楽器ではクラリーノと呼ばれる穴あきナチュラル・トランペットが用いられていることであり、また第2期では(第102番を除き)新しい楽器であるクラリネットが用いられ始めたということである。第101番の交響曲は「時計」と呼ばれることがあるが、これは第2楽章のファゴットと弦によって規則的に刻まれるリズムが、時計の振り子の様子に似ていることから、のちに付いた愛称である。

 第1楽章 「アダージョ」4分の3拍子の序奏は、主部のニ長調に対してニ短調で書かれており、クラリネットと金管を除いた暗い響きがする。第3楽章の「メヌエット」に顕著なスフォルツァンドも薬味を利かせている。「プレスト」8分の6拍子、ソナタ形式の主部は、対照的に快活で8分音符が覇気に富み、第1主題と第2主題の性格的な対比も曖昧である。
 
 第2楽章 「アンダンテ」4分の2拍子、ト長調で書かれており、時計の刻みのような前半10小節と後半24小節がそれぞれ反復される主題部を持った変奏曲(4つの変奏)になっている。第2変奏ではフルート、オーボエ、ファゴットのソロに第1ヴァイオリンが絡む。
 
 第3楽章 「メヌエット〜アレグレット」4分の3拍子。スフォルツァンドを活かしたニ長調の堂々としたメヌエットで、中間部はフルートとファゴットのソロが、オスティナート的な弦の上に展開する。
 
 第4楽章 「フィナーレ ヴィヴァーチェ」2分の2拍子は、ロンド形式的な要素を交えたソナタ形式で、展開部ではニ短調とト短調の転調があったり、フガート的な展開があったりと、熟練の味を秘めた込み入った終楽章になっている。
  
   作曲年代 1793-94年
 初  演 1794年3月3日。ハイドン自身の指揮。ハノーヴァー・スクェアにて。
 楽器編成
フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ、弦5部
 
 
 
マックス・ブルッフ(1838-1920)
交響曲 第3番 ホ長調 作品51
 
 ヴァイオリン独奏とオーケストラのための《スコットランド幻想曲》で知られるマックス・ブルッフ(1838-1920)は、生涯に3曲の交響曲を残したが、それらが今日の演奏会のプログラムに上ることは少ない。彼はブラームスより5歳、ブルックナーよりも14歳年少であるが、19世紀後半に苦吟しながら新たな交響曲の道を模索していった両者に比べると、その作風はむしろもっと年長のメンデルスゾーンに似ており、その意味で分かりやすく、同時代に評価されるのは早かった。事実、ブルッフの交響曲第1番は1868年、作曲者30歳の年に成功裏に初演され、すぐに他の様々な都市の演奏会にかかっており、シンフォニストとしてのブルッフの名は、今日とは比較にならないほど高かった。その後の時代は、しかしもう少し込み入った交響曲を求めたようだ。けれども、《スコットランド幻想曲》にも、もうひとつの代表作である《コル・ニドライ》にも似た率直な歌謡性は、ブルッフの同時代性を斟酌する必要のなくなった今日、素直に楽しめる要素を、3曲の交響曲に与えているように思われる。
 ブルッフは29歳でドイツの小都市ゾンダースハウゼンの宮廷楽長に就任したが、その後ベルリンやボンで公的な職に就かずに自由な創作を続けた。1877年、彼はユーリウス・ベネディクトが芸術監督を務めるイギリス、リヴァプールのフィルハーモニック協会に招かれて、自身の合唱曲《オデッセウス》を指揮するが、これでこの街とのつながりが生じ、1880年にはベネディクトを継いでフィルハーモニック協会の芸術監督となり、3年間で35回の演奏会を自ら指揮した。このリヴァプール時代は新しい創作に関しては停滞気味であったが、作曲途中であった《スコットランド幻想曲》や《コル・ニドライ》は完成され、またニューヨークの交響楽協会の指揮者レーオポルト・ダムロッシュから交響曲の委嘱があった。ブルッフはゾンダースハウゼン時代の1870年から書きかけていたスケッチに基づいて、第3番に当たる交響曲を作曲することになった。

 第1楽章 「アンダンテ・ソステヌート〜アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ」 4分の4拍子の序奏から4分の2拍子のソナタ形式による主部へ移る。木管のソロが美しい序奏と、快活な主部は好対照。第2主題は序奏の動機と関連づけられている。終わり近くにいちど序奏的な「アダージョ」が挿入されている。
 
 第2楽章 「アダージョ・マ・ノン・トロッポ」 8分の6拍子のト長調で、敬虔なコラール風の音楽とその変奏からなっている。
 
 第3楽章 「スケルツォ・ヴィヴァーチェ」 4分の3拍子のスケルツォでハ長調。ファゴットと低弦による五音音階の主題で始まる楽しく洒脱な、しかし異例のロンド形式で、3つの交響曲のすべての楽章中、もっとも成功したものと評価されている。
 
 第4楽章 「アレグロ・マ・ノン・トロッポ」 4分の4拍子のソナタ形式で、全体を締めるに相応しい壮麗さを感じさせる。豊かな楽想からなる抒情的な第1主題、それとは対照的な豪壮な第2主題。強烈なインパクトこそないが全体は高揚した気分のうちに終わりを告げる。
 
   作曲年代 1882年/1886年改訂
 初  演 1882年12月17日、レーオポルト・ダムロッシュ指揮のニューヨーク交響楽協会。
 楽器編成 フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、弦5部
 
 
 
(C)長木誠司(音楽学者)(無断転載を禁じる)
 
  
 
 
 
                                     
 
 
公益社団法人大阪交響楽団
Osaka Symphony Orchestra
〒590-0074
大阪府堺市堺区
北花田口町3-1-15 東洋ビル4F
TEL:072-226-5533
FAX:072-226-5544
 
 
四国支局
〒790-0051
愛媛県松山市生石町
649-11-402
TEL:089-947-4751
FAX:089-934-3577
 
 
201309301658395847.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
<<公益社団法人大阪交響楽団>> 〒590-0074 大阪府堺市堺区北花田口町3-1-15 東洋ビル4F TEL:072-226-5533 FAX:072-226-5544