大阪交響楽団 2017年度 定期演奏会 曲目解説

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第218回 定期演奏会   6月1日(金)
カーチュン・ウォン

 
2018年6月1日(金)19時00分開演 
 
 
イーゴリ・ストラヴィンスキー(1882-1971)
バレエ組曲「プルチネルラ」
 
 ストラヴィンスキーは創作初期、「スケルツォ・ファンタスティック」や交響的幻想曲「花火」がロシア・バレエ団(バレエ・リュス)の創設者ディアギレフに認められ、パリ公演のための新作を依頼された。それをきっかけとして、ストラヴィンスキーとロシア・バレエ団の栄光の時代が幕を開けるのである。時が20世紀を迎えて間もなくの頃だった。
 パリ・オペラ座で初演された第1作「火の鳥」は大成功、ストラヴィンスキーの名を一夜にしてスターダムに押し上げた。続いてパリ・シャトレ劇場で初演された第2作「ペトルーシュカ」も絶賛されたストラヴィンスキーは、1913年シャンゼリゼ劇場で「春の祭典」を初演、けれどもあまりの先鋭さに賛否両論、怒号が飛び交うセンセーショナルなコンサートとなった。それでも翌年の再演は何事もなく、聴衆の大きな支持を得たという。
 その後ストラヴィンスキーは、キエフ等でロシアの民話や民謡を採取、スイスで新しい創作のための準備に入ったが、折しも1914年8月には第一次世界大戦が、1917年にはロシア10月革命が勃発、ストラヴィンスキーは帰国への道を閉ざされてしまう。それでもストラヴィンスキーは、スイス各地を転々としながら舞台音楽「きつね」、交響詩「うぐいすの歌」、「兵士の物語」などの創作活動に没頭していた。
 一方ディアギレフは、「上機嫌な婦人たち(1917年)」、「風変わりな店(1919年)」など、イタリア音楽を用いたバレエを積極的に制作しており、次回作にはペルゴレージの楽曲を用いたバレエ音楽「プルチネルラ」を構想、大規模な編成による編曲をストラヴィンスキーに依頼したのである。当時ペルゴレージ作曲と思われていた作品の中には、ガッロ他別の作曲家作品も含まれていたが、ストラヴィンスキーはディアギレフの注文を無視、近代的な和声やリズムを採り入れた小編成での編曲に変更し、驚いたディアギレフもその音楽的効果を認め、賛同したという。女性にモテモテの主人公プルチネルラが、他の男からの嫉妬で殺されそうになり、身代わりを使って難を逃れる。そしてラストには恋人と結ばれるというストーリー。ちなみにこの時の衣装と舞台美術を担当したのは、かのパブロ・ピカソであった。
 それまでの原始主義的な作風から新古典主義へと方向を転換させた「プルチネルラ」の初演は大成功、その後何度も再演を重ねた。ストラヴィンスキーは1922年にバレエ音楽から抜粋して組曲を編纂、その時バレエ音楽にあったソプラノ、テノール、バスの独唱は省かれた。さらに後年、「イタリア組曲」などとして、ヴァイオリンとピアノ、チェロとピアノのために編曲が施されている。

シンフォニア(序曲)
アレグロ・モデラート、ト長調。曲調は明るく、華やいだ主題が第一ヴァイオリンからオーボエなどに受け継がれて変奏されていく。

 
セレナータ
街の男たちが娘プルデンザにセレナードを歌うが、娘の父に追い払われる。抒情的なオーボエが切ない。その時現れたプルチネルラにプルデンザは愛の告白をするが、冷たく断られる。原曲はペルゴレージによるオペラの中の歌。

 
スケルツィーノ~アレグロ~アンダンティーノ
告白が失敗したのをからかうようなスケルツィーノで、原曲は18世紀イタリアの作曲家ガッロのソナタ。ガッロは無名だったため、ペルゴレージの名前で出版したという。

 
タランテラ
ナポリの舞曲。プルチネルラに嫉妬する男たちはプルチネルラを殺してしまう。けれども実は死んでおらず、魔術で替え玉が甦る演出をする。

 
トッカータ
アレグロの愉快な主題がトランペットによって奏される。

 
2つの変奏のあるガヴォット
変奏曲を伴う古風なガヴォット。プルチネルラやプルデンザによる踊り。主題はオーボエからフルートに移り、それにホルンが加わる。

 
ヴィーヴォ
トロンボーンとコントラバスの掛け合いで始まる、ややコケティッシュな雰囲気を持つ。

 
メヌエット~フィナーレ
街の男たちは娘たちと、プルチネルラは恋人ピンピネルラとめでたく結婚のメヌエットを踊る。原曲はペルゴレージのオペラ「妹に恋した兄」からの曲。
 
 作曲年代 バレエ音楽:1920年、組曲への編曲:1922年、1947年改訂
 初  演
バレエ音楽:1920年5月15日 パリ・オペラ座 指揮:エルネスト・アンセルメ
<組曲の初演>
1922年12月22日 ピエール・モントゥ指揮 ボストン交響楽団
 楽器編成
フルート2(ピッコロ1持ち替え)、オーボエ2、ファゴット2、ホルン2、トランペット1、トロンボーン1、独奏弦五部(第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス各1)、弦五部(第1ヴァイオリン4、第2ヴァイオリン4、ヴィオラ3、チェロ3、コントラバス3)
 
 
 
セルゲイ・ラフマニノフ(1873-1943)
交響曲 第2番 ホ短調 作品27
 
 金メダルを受賞してモスクワ音楽院を卒業したラフマニノフは、ピアノ曲「幻想小曲集Op.3」の第2番《前奏曲》でいきなりブレイク、たちまち作曲家として注目を集める存在となっていた。そして1895年夏、渾身の力を込めた「交響曲第1番」を書き上げたのである。すぐに初演を画策するも、なかなかその機会を与えられなかったが、その2年後、タネーエフやサフノフスキーの尽力によってようやく初演に漕ぎ着けることができた。ところが指揮をしたグラズノフはラフマニノフの真意を理解できなかったばかりか、オーケストレーションを勝手に変更するなど独断で手を加えたため、ラフマニノフの意図とはかけ離れた演奏になってしまった。
 果たして初演は大失敗、辛辣な批判は演奏者ではなく作曲者に集中、ラフマニノフは終演後に怒りと絶望のあまり、街をあてどなく彷徨い歩いたという。結局この交響曲がラフマニノフの生存中に再演されることはついになかったが、これを機にラフマニノフは創作意欲を喪失したばかりか、恋人との別れなども重なってしばらく心身膠着状態が続くことになる。
 その精神的疾患を治癒したのが、アマチュアのヴィオラ奏者でもあったダーリ博士の催眠療法。それは奏効著しく、作曲家の創作意欲を甦らせ、イギリス王立交響楽協会と約束していた「ピアノ協奏曲第2番」を見事に完成させたのである。また友人の名バス歌手シャリアピンがラフマニノフを誘い、明るい陽光の差すイタリアに連れ出したのも創作意欲の背中を押した。さらにラフマニノフは30歳になった1902年、従姉妹にあたるサーティン家のナターリヤと結婚を発表して周囲を仰天させた。と言うのも、ロシア正教では第一従兄妹同士の結婚は禁じられていたからである。それでもラフマニノフの叔母の献身的な奔走によって、4月には教会で結婚式を挙げることができた。
 この頃には、ロシアやヨーロッパ各地での「ピアノ協奏曲第2番」の成功により、ラフマニノフの名声は飛躍的に高まっていた。それは初演時の指揮者でもあった従兄弟のアレクサンドル・ジロティが積極的に広めてくれていたからでもある。それもあってラフマニノフは、新婦と2人、ウィーン、ルツェルン、ヴェネツィアなどに新婚旅行に出かけた。
 その1904年から1905年にかけて、数はそれほど多くはないものの、ラフマニノフは「チェロ・ソナタ」、プーシキンによる詩劇「吝嗇の騎士」、「フランチェスカ・ダ・リミニ」などを創作、また指揮者としてもボリショイ劇場で2シーズンを務めたが、当時ロシアの政情は日露戦争の敗北などから不安定であり、さらに革命の足音が忍び寄ってきていた。そこでラフマニノフは1906年1月、家族を連れてドレスデンへと移り、夏の間はロシアのイワノフに帰国して過ごした。彼の地には妻の実家の別荘があったのである。そこで完成されたのが、「交響曲第2番」であり、スラヴの大地を標榜し、またこの時代を代表する傑作の誕生となった。
 
第1楽章/ラルゴ~アレグロ・モデラート ホ短調
導入部は長大で、全音階による低音の動機が循環され、全曲を支配する。と同時に多彩な旋律が生み出されていく。主部は自由なソナタ形式を採り、ヴァイオリンによる憂いに満ちた第1主題、甘美な第2主題が多様に発展し、起伏を携えた音楽がドラマティックに繰り広げられる。
 
第2楽章/アレグロ・モルト イ短調
複合三部形式のスケルツォ楽章である。高らかなホルンによる主部の主題は第1ヴァイオリンの主題を導き、やがて抒情的な旋律へと移ろっていく。中間部では、主要主題が変形されてフーガに発展、コーダは再びコラールとなる。
 
第3楽章/アダージョ イ長調
ヴァイオリンの導入を受けて、独奏クラリネットがデリケートな情感を歌い、余韻嫋々たる響きは繊細に各楽器によって受け継がれていく。いかにもラフマニノフらしい楽章である。
 
第4楽章/アレグロ・ヴィヴァーチェ ホ長調
ロマンティックな第3楽章の後を受けた、対照的に輝かしい歓喜のフィナーレ。躍動的で鼓舞するかの第1主題と弦楽器による第2主題が華麗に展開し、様々な主題や動機を巻き込みながら圧倒的なクライマックスへと突き進む。

 
 作曲年代 1903年頃着手~1907年
 初  演
1908年2月8日(ロシア旧暦1月26日) ペテルブルク マリインスキー劇場 アレクサンドル・ジロティ指揮
 楽器編成
フルート3(ピッコロ1持ち替え)、オーボエ3(イングリッシュホルン1持ち替え)、クラリネット2、バスクラリネット、ファゴット2、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、シンバル、大太鼓、小太鼓、グロッケンシュピール、弦五部
 
(C) 真嶋 雄大(音楽評論) (無断転載を禁じる)

 
 
 
 
 
 
 
                                     
 
 
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