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第33回 いずみホール定期演奏会 3月6日(水)
寺岡 清高
熊谷 綾乃

第33回いずみホール定期演奏会
秋深まるブラームス
 
2019年3月6日(水)
<昼の部>14時30分開演 <夜の部>19時00分開演
いずみホール

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-1791)
歌劇「フィガロの結婚」序曲
 
 オペラは、結婚式を控えた才気あふれるフィガロ(元セビリャの理髪師)とスザンナが、スザンナにその気を抱くアルマヴィーヴァ伯爵の思惑をかわし、幸せな式を挙げるまでの一日の出来事を描く。驚がくの出来事満載だが、愛の本質がテーマだ。
 ザルツブルク出身のモーツァルトが音楽の都ウィーンを拠点とするようになって5年目の1786年5月に作曲され、ウィーンのみならず、百塔の都プラハで喝采を博した。イタリア語の台本はウィーンの宮廷詩人ダ・ポンテによる。モーツァルトとダ・ポンテはこの後「ドン・ジョヴァンニ」「コジ・ファン・トゥッテ」を創る。
 思わずほほ緩む「フィガロの結婚」序曲だが、オペラ本編のメロディとは無関係。つまり序曲のメロディはオペラに出てこない。楽の音と自在に戯れるアマデウスがここにいる。
 
作曲年代 1786年
初  演
1786年5月1日ウィーンのブルク劇場にて。
楽器編成
フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ、弦楽
 
 
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-1791)
演奏会用アリア「大いなる魂と高貴な心は」 K.578
 
 モーツァルトの時代、お気に入りの歌い手にアリアを書く習慣があった。その歌い手が、モーツァルト以外のオペラに出演した場合でも、モーツァルトはアリアを贈った。挿入歌の習慣があったのである。
 このアリアも、人気オペラ作曲家チマローザの喜劇的なオペラ「ロッカ・アッズッラ(青碧)の二人の男爵」への挿入歌として書かれた。同作品が1789年9月にウィーンで上演された際、ルイーズ・ヴィルヌーヴというソプラノ歌手が出演しているのだが、モーツァルトはデビューまもない彼女の歌と華やかなステージ・プレゼンスに魅了されていたようである。
 それで、男爵のフィアンセが、ブレない愛を決然と歌うアリアを書く。木管との対話も素晴らしい。アレグロ~アレグロ・アッサイの二部構成。
 ルイーズ・ヴィルヌーヴ嬢は1790年1月の「コジ・ファン・トゥッテ」初演でドラベッラを歌っている。
 
作曲年代 1789年
初  演
1789年9月6日ウィーンのブルク劇場にて?
楽器編成
ソプラノ独唱、オーボエ2、ファゴット2、ホルン2、弦楽
 
 
 
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-1791)
演奏会用アリア「誰が知っているでしょう、私の愛しい人の苦しみを」 K.582
 
 モーツァルトの時代、ウィーンでは、スペイン・バレンシア出身の作曲家ビセンテ・マルティーン・イ・ソレルの喜劇的なオペラが人気を博していた。「ドン・ジョヴァンニ」第2幕の晩餐の場面でも、ソレルの「Una cosa rara 椿事」が楽士によって演奏されるほどだ。
 このアリアは、ソレルの「気のいい気難し屋」(1786年1月ウィーン初演)への挿入歌として書かれた。
 「気のいい気難し屋」が1789年11月にブルク劇場で再演された際、前述のルイーズ・ヴィルヌーヴ嬢が主役のルチッラ夫人役で出演していたのだ。負債を抱えた夫に向かい「あなたの悩みが分からないわ。私の清い愛をご存じのあなた。私の胸のつかえを追い払って」と歌う。
 
作曲年代 1789年
初  演
1789年11月9日ウィーンのブルク劇場にて?
楽器編成
ソプラノ独唱、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、弦楽
 
 

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-1791)
6つのドイツ舞曲 K.567 より 第1番 変ロ長調、第2番 変ホ長調
 
 1781年5月にザルツブルクのコロレド大司教と決裂以来、フリーランスの音楽家としてウィーンを拠点にしていたモーツァルトだが、1787年暮れに宮廷作曲家となる。報酬は控え目。主な職務は宮廷舞踏会用ダンス音楽の作曲だった。
 1788年暮れに創られたドイツ舞曲から。ちなみに同年の夏、モーツァルトは交響曲第39番、第40番、第41番を作曲している。
 
作曲年代 1788年
初  演
1788年12月6日以降 ウィーン王宮レドゥッテンザールでの宮廷舞踏会にて。
楽器編成
第1番 クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、弦楽
第2番 フルート、クラリネット2、ファゴット2、クラリーノ(トランペット)2、ティンパニ、弦楽
 
 
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-1791)
演奏会用アリア「アルカンドロよ、わたしはそれを告白する
  ~わたしは知らぬ、どこからやってくるのか」 K.294
 
 青年モーツァルトの芸術を飛翔させた「マンハイム=パリ旅行」の折り、マンハイムで好きになったアロイジア・ウェーバー(写譜師ウェーバー家の次女)に捧げたアリアを。レチタティーヴォ部をもつ。
 父レオポルドよりも年上のテノール歌手のために書き始めたが、アロイジア向けに作曲し直した。歌詞は、多くの作曲家が音楽を創ったピエトロ・メタスタージオの戯曲「オリンピーアデ」による。モーツァルトは恋の歌にした。
 
作曲年代 1778年2月
初  演
1778年2月下旬か3月12日マンハイムにて。
楽器編成
ソプラノ独唱、フルート、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、弦楽
 
 
 
フランツ・シューベルト(1797-1828)
交響曲 第8(9)番 ハ長調 D944 「グレート」
 
 シューベルト交響芸術の粋を聴く。歌心はもちろん、執拗な(失礼)繰り返しの美学、それに大胆な転調も聴き手を捉えて離さない。
 ホルンやトロンボーンの活躍も際立つ、まさにDie Grosse Sinfonie(大交響曲)で、終楽章には1824年にウィーンで初演されたベートーヴェンの交響曲第9番の調べ──歓喜の歌の主題もこだまする。
 初演の背景にドラマあり。
 ウィーン楽友協会に提出、試演されながらも日の目を見なかったこのシンフォニーは、シューベルトの兄フェルディナントのもとを訪ねたシューマンによって総譜が発見され、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の楽長メンデルスゾーンの指揮で蘇った。シューベルトが召されて11年後、1839年春のことである。シューベルト→兄フェルディナント→シューマン→メンデルスゾーン。これほど美しい作曲家の「リレー」が他にあるだろうか。
 生粋のウィーンっ子で希代の「歌人」でもあったシューベルトが1826年暮れ、ウィーン楽友協会に宛てた文面を意訳でご紹介する。
 「オーストリアの作曲家であるわたくしは、芸術の追求をすべての側面から支えようとなさる貴楽友協会の崇高な目的に感銘を受けております。
 自作の交響曲を皆さま方に献呈するとともに、この交響曲を末永く護っていただきたいと考えております」。シューベルトはウィーン楽友協会の名誉会員だった。
 この長篇交響曲に価値を見出したドイツ・ロマン派の化身シューマンの言葉も示唆に富む。
 「すべての楽器が人の声になっています。熟達の作曲技法に加えて、音楽のすべての組織の中に命が宿っているのです。最高に精妙な味わいの色彩があり、すべてのパートに意味があります。最後には、真にロマン的な気分が降り注ぎます。
 そして、どうしても言っておきたいのは、この交響曲の天国的な長さのことです」。
 寺岡清高と大阪交響楽団の音楽家が紡ぐ、移ろいゆく音彩、いや芸術的魔境に抱かれたいものである。

第1楽章 アンダンテ~アレグロ・マ・ノン・トロッポ 2分の2拍子
第2楽章 アンダンテ・コン・モート 4分の2拍子
第3楽章 スケルツォ、アレグロ・ヴィヴァーチェ トリオ 4分の3拍子
第4楽章 フィナーレ、アレグロ・ヴィヴァーチェ 4分の2拍子
 
作曲年代 1825-1826年
初  演
1839年3月21日ライプツィヒ・ゲヴァントハウスにて メンデルスゾーン指揮。
楽器編成
フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、トロンボーン3、ティンパニ、弦5部
 
            
曲目解説:(C)奥田佳道(音楽評論家)(無断転載を禁じる)
歌詞対訳:(C)森田 学(声楽家・声楽指導者)(無断転載を禁じる)
 
 
寺岡清清高写真 Photo 木村 護
 
 
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